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分布北限での遺伝的変異の減少が境界付近での適応を妨げる 

生物は、自然選択(自然淘汰)を通じて新たな環境に適応することができます。そのため、分布域の辺縁の集団が、直面した新たな環境に適応しつづけることによって、分布を際限なく拡大させるポテンシャルをもっているといえます。とはいえ、現実には、ある一種の生物が地球の全域に生息することはなく、どの生物も分布域は限定的であることは言うまでもありません。分布範囲の大小は生物種により異なるものの、どの種も北限や南限などの「分布限界」をもっています。海洋や山脈によって分布が制限される場合もありますが、多くの場合は、そういった物理的な障壁がないにもかかわらず、分布限界が存在するのです。これらの事実は、すべての生物は、何らかの理由で分布を拡大するための適応進化が制限させれていることを示唆しています。生物の分布パターンを理解するためには、分布の辺縁部でさらなる適応進化が制限されるメカニズムの解明が不可欠なのです。しかし、分布の辺縁部において進化を抑制する機構について野外で検証した例はほとんどありません。
 理論的には、分布の辺縁部での適応進化を制限する2つの機構が提唱されています。一つは、分布域の中心部の環境に適応した個体(あるいは個体がもつ遺伝子)が辺縁部に流れこむこと(非対称に遺伝子流動)による遺伝的な汚染(移住荷重)による集団の最適化の阻害です(移住荷重による分布制限の理論的解析はこちらを参照)。もう一つは、分布辺縁部において進化の素材となる遺伝的変異が減少することによる適応進化の制限です。前者の場合は、分布の中心から辺縁への非対称な遺伝子流動が存在し、かつ分布の中心から辺縁にかけて遺伝的多様性が増大すると予想されています(図1)。一方、後者の場合は、分布の中心から辺縁にかけて遺伝的多様性が減少すると予測されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図1.移住荷重による適応の抑制と多様性の枯渇による適応の阻害から予測される遺伝的多様性の空間勾配.前者の場合は、分布の中心から辺縁にかけて遺伝的多様性が増大すると予想され、後者の場合は、分布の中心から辺縁にかけて遺伝的多様性が減少すると予測されています。

 今回、我々は、日本に分布の北限をもつアオモンイトトンボ(図2)を用いて分布限界において進化の制限が生じる機構を野外調査と遺伝学的解析により検証しました。本種は熱帯に分布の中心をもち、宮城県あるいは新潟県が分布の北限と成っています(図2)。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図2.アオモンイトトンボの成虫.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図3.アオモンイトトンボの分布域.赤道付近に分布の中心をもち、北限は宮城県付近にあります。


腹長や飛翔能力を指標に温度に対する適応の程度を評価したところ、分布の中心部(沖縄・九州地方)では各地域の温度適応している傾向があったものの、分布の辺縁(北陸・東北地方)、特に北緯35°以上では十分な地域適応がなされていないことが明らかになりました(図4)。約30箇所の野外集団で得られた成虫に関してMIG-seq法により得られたゲノムワイドな多型情報をもとに集団間の遺伝子流動や遺伝的多様性の程度を推定したところ、著しい遺伝子流動の非対称さは認められなかったものの、分布の辺縁の集団では顕著な遺伝的多様性の低下が認められました(図5)。また、緯度に沿った多様性の減少パターンは体長や飛翔能力の非適応の程度とよく一致していました。これらの結果は、遺伝的多様性(進化の素材)の減少が分布辺縁での適応進化を抑制することで、生物の分布を形作っていることを示唆しています。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図4.形態の緯度勾配.緯度の違いによる体サイズと翼面荷重の変化.黒い点線は、各地の温度環境に適応している場合に予想される体サイズと翼面荷重の傾向を示します。北緯35度前後で形質の非適応度合いが極端になっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図5.遺伝的多様性の緯度勾配.分布の中心から辺縁にかけて遺伝的多様性が減少する傾向がありました。同様の傾向はmtDNAについても認められています。いずれの場合も、北緯35度を境に遺伝的な多様性が極端に低下していました。

 今回の成果は、「集団内の多様性」が生物の分布を制約していることを示すと同時に、新たな環境や変動する環境下での遺伝的多様性の重要性を示唆するものです。このような考え方により、個々の生物がなぜ現在のような分布域をもつに至ったのかという生態学の非常に重要で普遍的な問いに答えることができるかもしれません。さらには、各生物種の分布パターンや各地域における生物多様性の成り立ちの理解や、外来種の侵入リスクの予測、温暖化に伴う生物の分布変化の予測に生かされると期待されています。
 

この研究は以下からみられます。  

Takahashi, Y., Y. Suyama, Y. Matsuki, R. Funayama, K. Nakayama and M. Kawata (2016) Lack of genetic variation prevents adaptation at the geographic range margin in a damselfly. Molecular Ecology [Abstract]

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